ギリシャの歴史を理解するには大きく分けて2つに分けるといいだろう。
これは正しいやり方というよりも、全く初めてギリシャ文明に接する時の方法論だ。
つまり古代ギリシャと現代ギリシャである。
古代ギリシャとは2000年ほど前に存在したものであり、また西洋文明発祥の地である。
つまり全ての近代国家の父であると言えるだろう。
この頃のギリシャは今よりも遥かに広大な領域を持っていた。
一方で現在のギリシャが生まれたのはおよそ200年ほど前のことだ。
かなり若い国であると言えるだろう。
この二つの国を繋げるのは、ある一定範囲の共通する領土と言語である。
言語は古代ギリシャ語から現代ギリシャ語へと発展している。
この古代ギリシャと現代ギリシャの間にも当然歴史があるわけだが、今回はその領域はサクッと終わらせてしまおう。
古代ギリシャ以前
古代ギリシア人の考えはキリスト教徒のそれとは異なる。
神が天と大地を作ったのではなく、天と大地が神を作ったとされている。
これはなかなかにダイナミズな考えであり、自然への尊敬を見出すことができる。
この考えが自然観察へと結びついたとも言えるだろう。
古代ギリシャが今より広大であった証拠として挙げられるのが、トロイヤ文明の存在である。
アナトリア半島にこのトロイヤ文明が存在していた。
つまり現代のトルコである。
ホメロスという伝説的詩人がここで起きた戦争を描いたわけである。
そしてこのホメロスが描いた物語が本当にあったと信じたシュリーマンがこの文明を発掘した。
この一連の長大な物語は我々も学校で学び、ある程度周知のものだろう。
古代ギリシャ
さて、実際に古代ギリシャ文明が始まるのは、紀元前800年頃である。
エーゲ海岸を中心としてポリスが形成された。
このポリスにはアクロポリスを中心とした市街地があり、アゴラという広場で政治が行われていた。
このポリスで最大であったものがアテネとスパルタである。
ペルシア軍との戦い
ペルシア帝国といえば、今のイランである。
4つの巨大都市を統一したペルシア帝国は、当時の世界の中心であったと言えるだろう。
このペルシア帝国がギリシャまで手を伸ばすことになる。
この地を収めていたダレイオス1世がギリシャへと侵攻を始める。
この巨大な帝国と戦うためにポリスが団結することとなる。
巨大なペルシア帝国はついにギリシャを征服することは敵わなかった。
ちなみにこのペルシア帝国を壊滅させたのは、アレキサンダー大王である。
またギリシャを征服したのもアレキサンダー大王その人である。
その後もギリシャは形を変えてローマの支配下に入ることとなる。
こうして古代ギリシャは幕を閉じることとなる。
さて、この時期はすっとぱしてしまい、現代のギリシャへと時を進めよう。
ギリシャ国家の誕生
その頃バルカン諸島はオスマン帝国によって支配されていた。
この独立運動が始まったのは、なんと現在のウクライナであるオデッサである。
ここで「フィリキ・エテリア」という秘密結社が結成された。
多様な職種の人間がここに集まり、指導者はアレクサンドロス・イプシランディスというロシア軍少将であった。
彼はなんとロシアが世界において絶頂期の時代に皇帝であった、アレクサンドル一世の副官であった男だ。
彼らが挙兵を起こしたことから、ギリシャ独立戦争が始まったのだ。
フィリキ・エテリア自体はすぐに潰されてしまうのだが、その後様々なゴタゴタを経たのちにギリシャは大国の介入を通して独立を獲得することとなる。
介入した様々な大国の思惑が絡み、バイエルン国王の次男であるオットーが国王に就任することとなる。
この時点でギリシャという国家の成立はあまり「上手くなかった」と言えるだろう。
現代のギリシャが財政破綻した時にかつて栄華を誇ったギリシャがなぜ、という謳い文句が使われていたが、実際のところ当然の帰結であるとも言えるだろう。
実際にこの時代におけるギリシャは1890年代、デンマーク王子であったゲオルギオス1世の時代に財政破綻を経験しているのだ。
その後もギリシャは他国の支配や内乱など、何かとゴタゴタの絶えない国である。
安定した国というのは程遠い国になってしまったと言えるだろう。
コメント