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ラファエロについて

ラファエロとは三代巨匠で一番最後に語られる人物であり、実際に先の二人に対して彼は最も若い。そしてラファエロは若くして成功を収めた。そして彼の成功とは先の二人に比べれば幾分既存のルートにおける成功である。つまり政治的、社会的地位における成功である。ラファエロは模倣の天才であった。彼はダヴィンチとミケランジェロは当然であるが、その当時に成功を収めていた画家の模倣を積極的に行なった。美貌と高い知性、そして社交性を兼ね備えていたラファエロ、何よりも画家の能力も天性のものを備えていた。そのため彼はローマ教皇であるユリウス2世にすぐに気に入れられることとなる。このユリウス2世は時の権力者であり、ルネサンス最大級のパトロンである。ミケランジェロも彼の依頼のもと傑作を残しており、ある意味ルネサンスの芸術を生み出してのは彼だということもできる。このユリウス2世の依頼のもとラファエロはヴァチカン宮殿に絵画を制作する。今日ではラファエロの間と呼ばれ観光客のメッカとなっているが、当時はユリユス2世の個人的な楽しみのために作られた。それが今日では人類においてもっとも偉大な芸術作品とされているのだから、ユリウス2世がいかに巨大であったかがわかるだろう。ユリウス2世は前任のアレクサンデル6世を毛嫌いしていたため、彼とは違う新しい自分用のスタンチェ(居室)が必要だった。そのためアレクサンデル6世が使用していた居室の上に遥かに豪華な自らの居室を全面的に作り変えることを計画した。この計画に最適と目をつけたのが、若きラファエロであり彼の工房であった。

ユリウス2世がラファエロにこの計画を任せたのは間違いないことであり、またこのような大事業を個人的なものとして使用するなど愚かな権力者とでも同時に非難したくもなる。しかしまさに彼がここで行なった事業は単なる絵画だけでなく、西洋文明を理解する上で極めて重要なものとなっている。
ラファエロの間は大きく分けて4つのスタンチェとなっている。この4つは一連で繋がっており、東から入って西に向かうについてそれぞれ、「コンスタンティヌスの間 ( Sala di Costantino)」、「ヘリオドロスのスタンザ (Stanza di Eliodoro)」、「署名のスタンザ (Stanza della Segnatura)」、「ボルゴの火災のスタンザ (Stanza dell’incendio del Borgo)」となっている。この中で最も有名なのは署名の間であり、アテナイの学堂もここにある。

コンスタンティヌスの間 ( Sala di Costantino)

さて、まずは初めでありかつ最も巨大となるのがコンスタンティヌスの間である。これはその名の通りコンスタンティヌスの生涯を描いたものである。この間はラファエロ亡き後に彼の攻防によって完成されたものである。

コンスタンティヌス1世とはキリスト教に改宗した皇帝である。これはコンスタンティヌス転換と呼ばれ、ローマにおけるキリスト教徒地位が画期的に代わり、ローマ教のキリスト教化が始まった。その点でもコンスタンティヌス1世を初めの部屋としておくのはキリスト教徒として正しい行いと言えだろう。この間ではコンスタンティヌス1世の生涯が描かれることとなるが、それはあくまでもキリスト教にとって美化されたコンスタンティヌス1世の生涯である。

ミルウィウス橋の戦い

コンスタンティヌスの洗礼

これはペンニの作とされている。

ヘリオドロスのスタンザ (Stanza di Eliodoro)

さて、続いてはヘリオドロスのスタンザである。おそらくここは謁見のまであったのではないかと言われている。先のコンスタンティヌスのように個人を扱ったのではなく、神またはキリストによって与えられた教会への奇跡がテーマではないかと言われている。これはラファエロによる作だとされている。

こちらが神殿から追放されるヘリオドロスである。これは旧約聖書のマカバイ記の物語を描いている。

こちらはレオ一世とアッティラの会談である。教皇とフン族の戦いを描いた物である。上空に聖ペテロと聖パウロがいるように、ここでも奇跡が描かれている。

署名のスタンザ (Stanza della Segnatura)

さて、この署名のスタンザが最も有名である。そしてユリウス2世はこの世紀の芸術を個人的な書斎として使用していた。世界で最も豪華な書斎を見たればここに行けばいいわけである。ここには神学、法学、哲学、詩がそれぞれ描かれており、ルネサンスで再生したギリシャ哲学をキリスト教と調和させること、あるいはキリスト教の文脈に位置付けることであった。しかしながら、製作者の意図はさておき、この中でアテナイの学堂が最も成功を収めたのが事実である。これは絵画として見ても抜群に優れている。

アテナイの学堂

また登場人物がダヴィンチやミケランジェロなどのようなラファエロが生きた同時代人を、プラトン等古代ギリシャに生きた、つまり本来神格化された人物と重ね合わせて描いている。このことからラファエロが今日ではイタリア・ルネサンスと呼ばれる彼が生きた時代と天才たちに対する強烈な自負心を見て取れるわけである。21世紀に生きる私たちからすれば、ダヴィンチやミケランジェロは古代ギリシャの哲人たちに並ぶと言われてもそうおかしく感じるものではない。むしろ一般的にはダヴィンチ等の方がプラトンやアリストテレスなど難しい書物を書く人たちよりはよっぽど人気であり有名であると言えるだろう。しかし21世紀の射程からすればどちらも承認された歴史である。ラファエロは歴史の渦中ではなく、まさに自分が生きた時代を人類史におけるおそらく最高峰の歴史と同等に描いたわけである。例えば21世紀でも優れたアーティストがたくさんいるが、ルネサンスの天才たちと同等に描くとすれば、なかなかに度胸のいる行為であろう。しかもアーティスト自身によってそれがなされたならなおさらである。

ルネサンスとは再生を意味しており、これは古代ギリシャ・ローマの再生に他ならない。しかしルネサンスは単なる古代ギリシャ・ローマの再生の域を超えて、新しい時代を切り拓いた。このアテナイの学堂はまさに再生と新しい時代のシンボリックな作品であると言えるだろう。

絵画の中央に位置するのがプラトンとアリストテレスである。それぞれの手の位置は天と地を対照的に示しているが、これは両哲学者の思想を端的にであるがよく表している。この二人の巨人は2000年間西洋哲学を支配したと言われるほどの巨人であり、この巨人の一人はダヴィンチをモデルとしている。ダヴィンチの人類史の影響力を考えれば、ラファエロの選択は全く検討はずれでなどではなかったと言えるだろう。ただしダヴィンチの活動を見れば、プラトンよりもアリストテレスにより親和性があるだろう。

画面右下にいるのが、ユークリッドとされている。ユークリッドといえば、ユークリッド言論で有名な作家である。幾何学の父であり、彼が人類史に与えた影響力、実績は途方もないものがある。このモデルとなったのがドナト・ブラマンテである。

ドナト・ブラマンテは当時最高の建築家と称賛されていた。ウルビーノ近郊のモンテ・アズドルアルド出身である。ウルビーノは他ならぬラファエロの故郷であり、ラファエロをユリウス2世に繋げたのもこのブラマンテであると言われている。そのブラマンテをユークリッドのモデルとするところにラファエロのうまさが現れている。

聖体論争

これは聖体論争と呼ばれるものであり、ラファエロが依頼を受けてから初めに手がけたフレスコ画である。天と地がここでは描かれている。

まずこの絵画は上部(天)と下部(地上)に分けることができる。上部の中央に鎮座しているのがキリストであり、その左右をマリアとヨハネがいる。キリストよりもさらに上部に存在するのは神である。それぞれ椅子に座っている人々はアダムやモーセなどの旧約聖書の人物から、パウロなどのキリストの使徒もいる。

そして絵画の下部中央に鎮座位している装飾品は聖体顕示台と呼ばれるものである。これは聖体賛美式というカトリック教会で行われる際に使用されるものである。これを囲むのは神学者たちであるが、彼らは聖体変化について議論をしている。アウグスティヌス、トマスアクィナス、インノケンティス3世など錚々たるメンツの中、ダンテアリギエーリも見られる。

パルナッソス

これがパルナッソスである。ラファエロの制作順序としては論争の次、2番目に完成されたものだ。これは署名のスタンザにおいては、詩を表すものとされている。場所はパルナッソス山というギリシャに実存する山である。ギリシャ神話ではアポロがここに住むとされており、すなわち絵画の中央にいるのもアポロである。周りをそれぞれ9人のミューズ、古代詩人、現代詩人が囲っている。ここでも上部左端にダンテが見られる。またダンテの右にいるホメロスは、ラオコーンをモデルとしたとされている。ルネサンスの詩の模範であったウェルギリウスはホメロスのさらに右隣にいる。

枢機卿の美徳

さて、3つのフレスコ画を描いた後に、最後となるのがこの枢機卿の美徳である。ここで扱われたテーマが法である。世俗としての民法と、教会法の二つが扱われている。

上部中央に座っているのがプルーデンス、左にはユスティニアヌス帝、右にはグレゴリウス9世(モデルはユリウス2世か)である。

ボルゴの火災のスタンザ (Stanza dell’incendio del Borgo)

最後のスタンザは、ボルゴの火災と呼ばれている。名前の由来はここに飾られた「ボルゴの火災」から来ており、部屋のテーマはレオ3世と4世の生涯である。

これはカール大帝戴冠式である。レオ3世が描かれている。

これがボルゴの火災である。言われないと火災とは分かりにくい。ローマのボルゴでの火災をレオ4世が沈めたとされており、その際の様子を描いている。

模倣の達人

さて、以上がラファエロの間で展示されている絵画である。彼は若い時代にこの途方もない歴史絵巻を描いたわけであるが、若くして頭脳明晰であったようだが、それのみならずユリウス2世のお抱えのブレーンが助言をしたとも言われている。ただこの時点でも多くの実存するモデルを使用したことからも、模倣の達人らしいラファエロの姿が見て取れる。

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