ミケランジェロのピエタであるが、これは磔から解放さえたイエスを抱く聖母マリアを描いたものである。場所はゴルゴタの丘とされており、そこにキリストは磔にされていた。現在ではエルサレム旧市街地にある聖墳墓教会がそこではないかと推測されている。
ミケランジェロのピエタであるが、これは現代の我々から見ても驚異的な技法である。美の価値観が変わることがなく存在している。それはリアリズムであるかのようにも見えるが、余分な人間性が剥ぎ取られており、シンボリッック化された二人の人物が劇的な場面を描いている。マリアに表情は見えず、我が子を失った母の取り乱しはなく、それを全て受け入れているかのような表情である。
サン・ピエトロ大聖堂に保存
現在こちらはサン・ピエトロ大聖堂に保存されている。
サン・ピエトロ大聖堂は元々は4世紀にその起源を発するが、ユリウス2世によって再建されたものである。ブラマンテがこれを担当していたが、その死後はミケランジェロが担当した。工事が終わったのは1589年、つまりミケランジェロの死後である。さらに我々が今日見る聖堂は1626ねんい完成した2代目のものとなるのだが、ともあれ共にミケランジェロと深く関わりのある場所にピエタは展示されている。
依頼主である、ラグラウラス
このピエタはローマにおけるフランス大使であったラグラウラスが依頼したものである。
ラグラウラス(Jean Bilhères de Lagraulas)はカトリックの司祭であり、死のおよそ1年ほど前にミケランジェロにこの依頼をすることとなるが、設置場所はサン・ペトロニラ礼拝堂であった。そこは自身の葬儀場所の一つであり、彼は自身の葬儀のためにピエタ像を欲していたのである。そしておそらくラグラウラスの葬儀までには完成は間に合わなかった可能性が高い。しかしまだ若いミケランジェロにこの彫刻の依頼をしたことが、ラグラウラスは結果的に自身の名を人類史に永遠に刻みつけることとなった。
ピエタの構造
ピエタで注目すべき点としてマリアが非常に巨軀であることだ。成人男性であるキリストよりもはるかに大柄に描かれている。
似たような構図をとっている他のピエタ(絵画)と比較してみればより分かりやすい。本来は下のようにキリストはマリアよりも大きくはみ出すはずであるが、ミケランジェロの場合はキリストがマリアにすっぽりと包み込まれている。可能性として考えられるのはダビデ像のように観客が見る位置によってあえて構造を考えたことである。ダビデ像は下から見上げると最適になるように設計されている。またそもそも絵画と違ってキリストをマリアよりも大きくした場合、彫刻であるとバランスを取れない可能性があるためである。このピエタはマリアの頭を頂点として、彼女が身に纏ったローブが広がりを見せて、ちょうど三角形の構図をとるようになっている。この構図は審美的な美しさと彫刻のバランスの両方を実現することができている。実際にピエタを前にしてほとんどの人はマリア像がいかにも巨大であることに言われなければさして関心もよせなかったであろう。それほどこの彫刻は、彫刻という次元において驚嘆すべき調和の取れた美を持っているわけである。
修復
さて、芸術作品には修復がつきものであり、現在我々が見ることができる絵画作品のほとんどはオリジナルから手を加えられたものだ。大理石の場合は絵画よりもはるかに耐久度が高いが、このピエタはあるエピソードが付随している。
それは1972年に、ラズロ・トートというオーストラリア人がハンマーを持って彫刻を破壊したためである。彼はイエスが死んだ33歳になった際に、「私はキリストの生まれ変わりだ」と叫びながら、マリアの腕と鼻を砕いてしまった。彼は精神疾患の問題で2年間イタリアの精神病院で過ごした後にオーストラリアに強制送還されることとなる。刑事罰は免れた。
現在残っているピエタは修復後のものであり、また防弾ガラスで保護されて保存されることとなった。
ミケランジェロという奇跡
以上がミケランジェロによるピエタの簡単な解説である。このピエタは磔にされていたキリストが解放され、マリアに抱かれるという劇的な瞬間を描いたものである。それと同時にこれはルネサンスの芸術の最盛期への始まる瞬間でもあり、またミケランジェロという天才が開花した瞬間でもある。ピエタは実際のリアリズムと古典的な美とが融合されたものである。ある点はリアリズム点からみればおかしいが、それは研ぎ澄まされた美という観点からは正しい。そしてその両方が見事に調和がとれた作品となっている。
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