プーチンはKGB出身だというのは日本に限らずどこに言っても聞く話だ。
このプーチン=KGBという図式には、KGBだからプーチンはすごいという意味が大体裏に隠されている。
はっきりと言ってこれは単純にロシアとプーチン、およびKGBに対する無知から来ているに過ぎない。
しかし実際にロシア国内でプーチン=KGBという単純な図式で語られるようなことはほとんどない。
それは単純に理解度の差が圧倒的にあるからだ。
多くの人は物事を自分が知っているごく僅かな知識から判断するに過ぎない。
ほとんどの人はプーチンについてKGB出身だということくらいしか彼の経歴を知らない。
KGBはなんかすごい、だからその出身だったプーチンもすごい、そういった根拠も全くない論理に多くの人は支配されている。
こういう人たちはははっきりと言って、ロシア側のプーチン神話を助長させている、単純にプロパガンダにハマった愚かな人だということができる。
ただ多くの人はそもそもプーチンにもロシアにも興味がないのだから、このような事態は当たり前と言えば当たり前だろう。
今回はこの単純なプロパガンダから抜け出すことを目的としている。
そもそもKGBはすごいのか?
KGBはなんかすごいという図式がいつの間にか出来上がってしまっている。でも実際に何がすごいのかというと、答えられる人はほとんどいないだろう。こういうのはアメリカのCIAと関連して、映画から受けた影響に過ぎない。なんかスパイっぽいことやってるから、すごいんだろう。という実際は非常に幼稚な発想でしかない。
元々KGBが発足したのはレーニンによる指令である。当時はチョーカーと呼ばれており、レーニンらが成功した革命に反対する勢力を鎮圧させることが主たる任務であった。54年に国家保安委員会という名前でKGBが設立された。そして91年に解体されることとなる。KGBは秘密のベールに包まれているようだが、それはあくまでも国家公務員の一組織に過ぎない。つまり彼らは良くも悪くも役人なのだ。
役人出身であるからプーチンが優秀なのは間違いないだろう。そしてKGBが優秀なものであるのも間違い無いだろう。しかしKGBのような秘密警察がとりわけ優れており、権力を掴むに値するのなら、世界中は秘密警察上がりで権力は支配されているだろうが、現実は明らかにそうなっていない。
KGB時代にプーチンは何をやっていた?
大学を卒業後にプーチンはKGBに就職するわけである。KGBでは断続的にいつくかの訓練を受けたようだ。さて、このKGB時代にプーチンが何をやっていたかは実際のところベールに包まれている。それはプーチンがすごかったといわけではない。西側諸国はプーチンのKGB時代を矮小化し、ロシア側は伝説化しようとする傾向にある。確かなのはプーチンは東ドイツに赴任していたということだ。ここで語られるお決まりのエピソードはベルリンの壁崩壊時にドイツのロシア領土に暴徒が押し寄せてきて、プーチンが飛び出てこれをピストルで威嚇し、見事に鎮圧してしまったという逸話である。これは真実という者もあれば、プーチンは実際大したことをしていないという説もある。だが問題の本質はここにはない。プーチンはここでは役人の一人にすぎず、ソ連崩壊と共にKGBの職を失ってしまったということだ。一時収入を得るためにタクシードライバーになったとも言われている。つまり、そもそもプーチンが権力の座を掴めたことにKGBは直接の関係はないということだ。ある人物によってプーチンは権力の座に上がれたのだ。その人物こそがプーチンが現在においても深い敬愛を示している相手であり、それがサプチャークという人物である。
プーチンが政界入りした理由
KGBを辞めた、あるいは職を失ったプーチンは母校であるレニングラード国立大学に戻り、国際関係に関する部門で働き、ここで博士論文を書いている。その際にサプチャークと懇意になることとなる。サプチャークはレニングラード大学法学部教授であり、サンクトペテルブル市長になる男だ。このサプチャークがプーチンを国際問題の顧問に抜擢したのだ。これもKGBと同じように市の役員であるのだが、KGBよりもはるかに政治に密接している。というよりも政治家ではないもののまさに政治の仕事をすることとなるのだ。サプチャークの元でプーチンは出世をしていくこととなる。 なんと第一副市長の座まで上り詰めることとなるのだ。プーチンを政界へと道びたのはこのサプチャクであり、サプチャーク、プーチンという図式は政治に無関心なロシアの若者にも浸透しているほどに有名である。なのでプーチンが今の地位にのし上がったのは、KGB由来の力ではない。縁故主義によってプーチンは政界入りをしたのだ。このことはプーチン自身が身内を大事にする縁故主義に繋がっていると想像するのは難しいことではない。サプチャークが次の選挙に落選すると、公認のヤコブレフはプーチンに残留を求めたが、プーチンは固辞をし、辞職することとなる。そしてモスクワへと渡り、大統領財産管理局の副局長の座を得ることとなる。そしてエリチィンの信任を得て、次期大統領候補にまで昇り詰めたわけである。つまり大統領の座まで登り詰めるまで、そのほとんどが縁故採用によってなされたのだ。最終的には国民の選挙によって大統領になったとはいえ、ソビエト崩壊という混乱期に行われた選挙など出来レースに過ぎない。プーチンとはそもそも民主的なプロセスで大統領に上り詰めたのではなく、縁故主義で昇り詰めたのだ。そのきっかけを作ったのはサプチャークであり、KGBではない。
プーチンは縁故主義による権力者である。
さて、以上でプーチンに対する解像度がより上がったと思う。
KGBは確かにプーチンの素養となっているだろうが、しかしKGBはそんなに神秘的なものでもなんでもない。それは一役人にすぎない。このプーチンを権力者の地位にまで押し上げたのはサプチャークであり、縁故主義によって彼はのし上がった人物なのである。そこにKGBとの直的的なつながりは断絶されている。KGBはプーチンを理解する上で一つの要因とはなっているが、それは一要因でしかない。むしろサプチャークや大学での研究に関する一連の流れの方がよりプーチン理解には重要である。KGBという闇のブラックボックスで全てを解決して、プーチンをイタズラに神格化するのはもうここで辞めしよう。
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