今回イタリアローマから出発して、フィレンチェ、ミラノ、パリへと一連の旅を行った。その期間は気を休めるとすぐに退屈と失望にとらわれることがあったが、それでも素晴らしい夢のような発見のある日々でもあった。
ここで一旦私がこの旅で見出したものを箇条書きで思い返してみよう
絵画の歴史的発展
ギリシャから始めり、ルネサンス、そしてパリと、まさに絵画の発展の歴史をたとる旅であった。絵画がどのように技法とテーマにおいて発展したかを克明にたどれたのは素晴らしかった
ギリシャは奇跡
絵画の発展において、ギリシャがいかに人類の奇跡であったかを再認識した。ルネサンスはギリシャローマの再興であったが、ルネサンスの試みはまさにリアリズムの人間性を芸術に昇華させることであった。それをギリシャはすでに古代の時代にある意味達成したというのが驚異なのである。ギリシャ彫刻にそれが現れている。テーマこそ神話に依存しているが、彼らの作るリアリティある芸術は脅威のレベルである。本来人類はギリシャをベースに発展すべきだったのだが、ルネサンスで再発見されるまでその発展は遅々としてしまったのだ。
モナリザから始まる
モナリザはギリシャ芸術が成し得なかった人間を芸術の出発点とさせた人類史の偉大な作品である。これは芸術家の技法と人間精神のはるかな高みによって生み出されたものであり、後世の人間がかような高みへと至るなど想像することができない。美や世界の神秘へと、彼の魂そのすべてを持ってして、彼の生涯の全期間すべてそこに浸りきって初めて到達できるものである。ミケランジェロもダヴィンチでさえもほとんどが宗教画に費やされていたのだが、このモナリザは宗教画ではなく、人間を描いたものである。しかもその技法と完成度は宗教画よりもはるかに優れている。リアリティがあり、かつ宗教画にあるハリボテの神秘さはそこにはなく、それでいて見るものに強烈な謎を突きつける。これはまさに人間精神の奇跡である。
自分の感性を信じない
これはゲーテに教わったメソッドだ。自分の単純な感性だけを信じるのではなく、そこの対象をしっかりと認識し、人類の美の基準を自分のうちに取り組むという作業だ。これをすることによっていかなる対象もミステリの対象と変貌する。なぜ木はこのように配列されているのか。なぜ作家はここで筆を入れたのか。なぜこの街は極端に整備され過ぎているのか。など。偉大な建造物や絵画を前にしてしっかりと分析することによって、その対象の特徴や他との差異が明確化されていく。
考えるとは頭の中で書くこということであり、それは論理を生み出すことだ
対象を前にして自分の感性だけで終わらせないことが重要だ。つまり頭の中で分析を初めていくことが重要であるが、それはまさに頭の中で文章を組み立てていくことである。それも単純に文章を組み立てていくのではなく、その配列が必然でなければならない。つまりこの必然とは論理のことである。論理がそこに通っていれば、何かしらの真実に多度つくことができる。さて、対象を前にしてただ感性だけで終わっていれば、この論理の旅じも一向に始まることは当然ない。そのためまず論理の旅路を始めることが重要である。これはいかなる場所でも対象でもできることである。
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